千葉県の青少年育成のポスター騒動について

ママだけ?千葉県の青少年健全育成のポスターに批判相次ぐ

上記の記事を読みました。

千葉県の公式サイトからは件のポスターの掲載ページは削除されていますが、上記記事では引用されていますね。ポスターの内容はこちらでは引用しませんので、上記記事でご覧ください。

ポスターの

ママみてね スマホじゃなくて ぼくの顔

という標語に対して色々と批判が上がっているようですね…。

標語で呼びかけている対象を「ママ(母親)」に限定していることに対し、SNS上では「ママのせいにされちゃう千葉県ポスター」「子育ては母だけになすりつけるものではない」「父親は無関係ですか」「何で子育て=ママの役割なのだろう」など批判の声が次々に上がっている。

そうです。まぁ分かりますよ…。この問題ってめちゃくちゃ難しいと思うんですよね。

私は別にジェンダー間の問題の専門家でもなく詳しい訳でもないですし、私の意見が絶対正しいともこうあるべきとも思ってはいませんが、いつも通り思ったことを書いていこうと思います。こういうトピックで記事書いてる時、いつもこれを決まり文句に書いていて正直めんどいのですが、これ書くのやめていいですか?ダメ?ダメか…?たまたま見た人に誤解されたら適わんしなぁ…。まぁそんな感じであくまでIMHOな感想を書いていこうと思います。

初めに結論を書きますが、私は本件については「今回のケースではママに限定したことはそこまで悪手ではないと思う。しかし、千葉県側はこういう声が広がることも考慮して他の表現を検討する余地があったのではないか」と思います。納得できない人は以降の文章を読む時間がもったいないのでまた気が向いたときに遊びに来てください。

さて、まずは「ママ」に限定した件ですね。昔は母親が家事・育児をして父親が仕事で稼いでくるということが一般的だったかと思いますが、現代は母親父親関係なく家事も育児も仕事もしますし、家庭によっていろいろなスタイルがありますよね1。なので、この「ママ」と限定していることに関してはややステレオタイプな印象を受けるというのもわかります。

ただ、このポスターの本来の目的は「青少年を健全に育てる運動」を促進するというものであったハズです。冷静に考えてほしいのですが、父母ともに育児に積極的に携わっている現代の理想のような家庭では、おそらく健全な育成に向かっているといえるのではないでしょうか。そもそも無意識でもそういうことを考えていらっしゃるから、父母での育児参加を実際に行っている訳ですよね2。乱暴な言い方をしてしまえば、父母が育児参加しているようなご家庭はそもそもこのポスターで呼びかけたい人ではないのだと思います。

そうではなく、父母が育児参加できる状態でありながら母親しか育児参加していない家庭に向けて、父親にも何か考えるきっかけになればと思いこういった講習のようなものを開催されているのだろうな、と私はこのポスターを見て思いました。なので「ママみてね」というフレーズに関しても、母親に役割を押し付けているのではなくむしろその逆で、父親からも目を向けてほしいというような意図を込められているのではないかと思います。なんかこう書くと詭弁っぽいですが、ちゃんと考えてそう思ってますよ。

そして次は標語としての五七五制約というのもあると思います。俳句・川柳の五七五、短歌の五七五七七、都都逸の七七七後、ツイートの一四〇など文字数の制約は多くの人に馴染みがありますし、私の体感ですが特にポスターの標語では五七五がよく使われているような気がします。少なくとも七七七後よりは多いですね。

なので、ママとパパを入れるにしても文字数制約的に難しかったのではと酌量する余地はあります。こういうポスターの標語は文学ではなくあくまで標語なので(ポスターの標語に文学性を見出していらっしゃる方がいたら申し訳ありませんが)、字余りなどよりはしっかりと五七五にするのが大事な気がします。覚えやすいですし。

「ママ」と「パパ」を入れて、五七五で作って同じような内容にするなら「パパとママ スマホじゃなくて ぼく見てね」みたいな感じになりますかね?でもこの内容であればママとパパがどっちも子どもじゃなくてスマホを見ているので若干ネグっているような感じになりますよね。もしそういう家庭があったとしても、この標語を見て何かしらの訴求力があるでしょうか?それよりもピンポイントにママかパパかを指定してハッとさせて3、家庭内で「講習会受けてみよっか」ってなる方がまだ良くないですか?良くないですかってのは私を含めてこの件でお気持ち表明している人の立場じゃなくて、県の運動としてそっちの方が効果あるよねということです。

そもそもこの標語は

千葉県PTA連絡協議会主催の2019年度「健全育成標語」のコンクールで最優秀賞に選ばれた作品

だそうです。調べてみましたが、こちらのページの「千葉県PTA健全育成に関する標語コンクール」だと思われます。応募資格は「千葉県PTA連絡協議会会員」とあります。審査員は「有識者・県P本部役員・成人教育委員および環境対策委員」とあります。つまり県が勝手に決定した標語ではなく、PTA会員から募ってそれを色々な人が評価した結果選ばれた標語だということがあります。マジョリティ=正しいという訳ではないですが、多くの人の目によって多くの作品の中から選ばれた標語は尊重すべきだと思います。少なくとも個人的には上記のような事情や裏側を考慮するとこの標語が必ずしも悪とは思えないです。

というか個人的に思うのは、

「父親は無関係ですか」「何で子育て=ママの役割なのだろう」

みたいな意見の雑さですよ。そんなことこの標語には何も書いてないじゃないですか。この標語から読み取れるのは、この標語になったこのシーン一部分を切り取れば子どもがママに対して言っているということのみですよね。こうやって自分にとって都合よく解釈して文句を言うってマジでヤバいと思いますよ。文句を言っている人の中で、なぜこのような標語になったんだろう?と疑問に思って裏側を調べたり想像したりする人がどのくらいいるんでしょうか?ファーストインプレッションで勢いのままに文句垂れ流すのってマジでダサいのでやめた方がいいと思います。

ただ、時流的にこういったジェンダーの役割みたいなのは火種になりそうなことなので、標語の審査をする方や実際に採用した県側もちょっと慎重になった方がよかったかもしれない、とは思います。なお本件は「ママもパパもどちらも標語に入れる」か「どちらも標語に入れない」という形でしか騒動は防げなかったと思うので、難しいですよねぇ。この手の問題は何かを正しいといったり間違いと言ったりするのは本当に難しいなと思います。


  1. 本件とは関係ないですが、個人的には「父親母親関係なく現代は家事も育児も仕事もするもの!」と決めつけるのも違和感があります。そんなもん家庭の事情により色々やり方があり、双方納得して成立しているなら本来他の人が口出しすることではないと個人的には思います。どういう方向であれ決めつけや固定化はよくないですよね。 
  2. こういう書き方をすると「シングルマザーは愛情が足りないというのか!」みたいに思われるかもしれませんが、そう主張したい訳ではないです。「父母がご健康でどちらかしか育児に携わらない家庭」と「父母がご健康でどちらも育児に携わる家庭」であれば、各家庭の事情はあるにせよなんとんなく後者の方が印象良いですよね。 
  3. 書くか迷いましたが、もしこの標語が「ママ見てね」じゃなくて「パパ見てね」だったらここまで騒ぎにならないか、あるいは「ママから育児を取り上げないで!」「ずっと育児してきたのにパパだけの手柄みたいに言わないで!」みたいな文句が出そうですね。これは私の偏見かもですが。