「女性を理事に」は差別

「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏

上記の記事を読みました。簡単に言うと、森氏が

「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」とも発言。「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」などと語った。

そうです。

私は森氏個人のことは何も関心がなくて、氏の人となりとか発言の経緯とかは知りません。なんか五輪関連でむちゃくちゃなことを言っている人くらいに思っているので、この発言の受け取り方や以下の記事に書くことは多少バイアスがかかっているかもしれませんが、ちょっともにょるので書いてみます。自分の感情を言語化するのも大事ですから。

いつも通り、思ったことを書いていきます。

差別発言にあたるのか

まず、氏の発言の

女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです

について。民主主義の議論の場において、色々な意見が出ること自体は良いことであるはずです。競争意識とかは置いておいても、多種多様な意見が出ること自体は良いことですよね。

ただ、時間が無限にあるならそうやってとことん話し合えば良いのですが、時間に制約があるので、

発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困る

というような意見が出ている訳ですよね。そしてこれも正しいと思います。短い時間で完結に意思表示やプレゼンが出来る人というのは何事においても重宝されるでしょう。

元の発言が分かりませんが、おそらくニュアンス的には「競争意識などによる揚げ足取りやマウンティングで時間が無駄に浪費されるので困る」あるいは「本当に良い意見がたくさん出ているが、時間がかかりすぎて困っている」というような意味だと思います。

もし「競争意識などによる揚げ足取りやマウンティングで時間が無駄に浪費されるので困る」という意味での発言であれば、そもそもそういう発言をする人は議論に向いていないと個人的には思います。

議論では誰が発言したかはどうでも良く、また揚げ足取りなどではなく生産的な意見を出し合う場にすべきです。間違っても、憲法学者の名前を問うとか、首相に「首相の自覚はあるか」を問うとか、そういうことはしてはいけないと思います。なので、これは議論に参加する人選のミスともいえると思います。

「男性は解決を、女性は共感を求める」みたいな話があります。「車のエンジンがかからないの…」から始まる有名なコピペがありますが、まぁこれはちょっと誇張してある気はしますが、傾向としてはそんな感じがあると私も思います。(研究結果とか探してみましたがいい感じのが見つかりませんでした。個人ブログとか書籍とかは色々見つかりますが)

何かしらを結論に近づける能力は私の肌間隔では男性の方がある気がします。男性に比べて女性は雑談能力とか、場の空気を読んだりコミュニティーを乱さないようにする能力がある気がします。森氏が言及している場でどのような議論がされているのかはわかりませんが、何かしらの課題に直面していてそれを解決するのであれば、一般的に男性の方が向いているのかもしれません。

この観点からすると、「議論に協力的ではない人がいると時間がかかる」というのはもっともであり、差別発言にはあたらなそうです。ただ、そういう捉え方をすると「女性は議論に協力的ではない」というニュアンスになるので、差別的な発言に聞こえます。

A=B、B=C、だからA=Cの論法で、「女性は議論に協力的ではない(人が多い)」「議論に協力的ではない人が議論に参加すると時間がかかる」のをひっくるめて「女性が議論に参加すると時間がかかる」と言ったとしたら、言葉足らずと思います。ちゃんと前提を含めて言うべきだったなと。

もし「本当に良い意見がたくさん出ているが、時間がかかりすぎて困っている」のであれば、進行役のまとめる能力とかスケジュール感覚の欠落とか、あるいはアジェンダがないとか書くべきことを書いてないとか、そういう話であって参加しているのが男性か女性かは関係ないと思いますね。

本質的な問題は「男性か女性かではなく、議論に参加する人・進行役のメンバーの技量・その他準備の有無や質によって時間がかかる」のであって、男性か女性かってのは何も関係ないですよね。普通に考えて。

だから、ここで殊更「女性」を強調する必要はなかったんじゃないかなぁ…というのが個人的な感想です。男性か女性かは本質的には関係ないのに、女性に原因があるみたいな言い方は差別的発言といえるでしょう。

そもそも疑問に思うこと:目標値って意味ある?

女性を増やせばいいってもんじゃない、というのが今回主題にしたかった内容です。

男女の社会参画にはまだ差があるでしょう。女性の役員が全然いないという企業もたくさんあることでしょう。

そういう訳で、「女性にも上のポストに就いてもらうべき」という意見も方々で見られます。

今回のJOCも

JOCはスポーツ庁がまとめた競技団体の運営指針「ガバナンスコード」に沿い、全理事のうち女性の割合を40%以上にすることを目標としている。

としているそうですね。スポーツ庁のガバナンスコードというのは知らなかったので調べてみました。ググればすぐに以下のページがヒットしました。わからないことはウダウダ都合よく想像するよりググって信頼できるソースを見つけましょう。下記ページはドメインが「go.jp」となっています。つまり政府機関の公式ページです。

スポーツ団体ガバナンスコード

そのうち、中央競技団体向けの方に、以下の記載がありました。

外部理事の目標割合(25%以上)及び女性理事の目標割合(40%以上)を設定するとともに,その達成に向けた具体的な方策を講じること

確かにガバナンスコードで定められている目標値のようです。

理由としては

女性競技者の増加等を通じた競技の更なる普及発展や,スポーツを通じた女性の社会参画・活躍を促進する観点から,女性理事の目標割合の設定及びその達成に向けた具体的な方策を講じることにより,女性の視点や考え方をより積極的に取り入れていくことが求められる。

とありますね。

なんで積極的に取り入れていくのに、半分の50%じゃなくて40%なんでしょうね?この辺の数字って何か根拠があって定められていると思うのですが、その数字の根拠までは探しきれませんでした(書いてあるのを見落としたかもしれませんが)。

この数字は「ブライトン・プラス・ヘルシンキ2014宣言」内で言及されており、ガバナンスコードもその内容を参考にしているようです。ググっても10の原則とかしか出なくて数字の根拠がない…。普通50%にしませんかね?

男女比が関係あるのかな?と思いましたが、2010年時点での世界人口の男女比もほぼ半々(※農水省資料、pdf注意)になっているみたいですね。ますます40%がどこから出たのかわからん…。まぁいいや、置いておきましょう。

私は思うのですが、男性とか女性とか関係なく良い意見は取り入れるべきですし、能力のある人間が上のポストに就くべきだと思うんですよね。「女性だから重要なポストを任せる」っていうのは明確に女性差別の一種だと思いますよ。

順番が逆なんですよ。「何割以上を女性にする」じゃないでしょう。「良い意見を取り入れていったら、上に就く人間は単純に比率的に考えて男女半々くらいになるよね」、というのが理想というかあるべき姿だと個人的には思いますよ。

女性Aを入れなきゃいけないから、枠の関係で能力のある男性Bは組織に入れないとかっていう方が、その組織に対しての損失になると思います。

そもそも目標割合ってなんかすごく女性に対して失礼だと思いませんか?仮に能力を活かしてポストに就いた女性に「これで女性の割合が増えましたね」とか言ったら一発レッドカードレベルの差別発言だと思いますよ。本人の能力を査定しないで女性だから〇〇を任せるというのは差別の一種です。しかもその結果「女性は時間がかかる」とか言われたらめちゃくちゃ傷つくと思いますよ。

企業でも、世間を意識して女性を役員にして、(その役員の女性よりは能力のある)男性を役員から外した結果会社が傾き始めた、みたいな例も聞きます。考え方が違うでしょう。

女性の社会進出を促すのであれば育休や産休前後のハラスメントの厳罰化とか、復職保証とかで女性のキャリアを邪魔しないような制度を取り入れるべきだと思うんですよね。そうしていろんな企業や組織でそのような働きかけが促進されていけば、別に意図的に女性を役員にしようとしなくても、役員候補に男性も女性もいるのであとは能力なりの軸で選定できるはずです。それが本当の男女平等なんじゃないですかね。

まぁ森氏の発言の是非は問われるでしょう。個人的にはこの発言の背景が分からないので、良いとも悪いとも言えません。私の想像の及ばない事情があることでしょう。発言だけ見たら差別発言っぽい思いますが、材料がないので養護も批判もしません(できません)。ただ、こういうセンシティブな話は実際に被害者となったような方が男性にも女性にもいらっしゃると思うので、もっと慎重に発言すべきだったのでは?とは思います。

辞任か

上記まで書き終えたところで、

森喜朗氏、会長辞任の可能性に言及 「女性が…」発言の波紋拡大で

を読みました。

今回の発言の真意について「一般論として、女性の数だけを増やすのは考えものだということが言いたかった。女性を蔑視する意図はまったくない」と説明した。

前述した通り、私もまったく同じ考えでいます。「女性を(女性だからという訳で)悪く言うな」というのはもちろん正当な主張ですが、「女性を(女性だからというだけで)昇進させろ」という考えはとても歪んでいると思います。

ということで、意図としては分かりました。

やはり言い方が悪かったということになるでしょう。

本件とか関係ありませんが、

私自身も『老害』という批判を意識し、反省しながらやってきた。

にある「老害」という言葉。これも私は大嫌いです。(以前は私も老害という言葉を使っていたと思いますが…)

「老害」というのはご高齢の方が何かニュースになった時に度々目にしますが、私自身「ゆとり」と言われるのが嫌なので自分もこういう言葉は使わないようにしています。個人ではなくその人の属性を攻撃するのは、これはこれで差別的だと思います。「女をバカにした老害」とか言ってたら見事なブーメランですよ。高齢者の方々は不快になるでしょうから。

さて、森氏は辞任されるのでしょうか。私は正直どちらでもいいですが、なんにせよ五輪中止or延期という方向になってくれるよう望みます。

ただ、

政治家としての経験を生かした最後のご奉公として今までやってきた。

が五輪開催への舵取りであったのであれば、辞任してほしいなぁ(小声)

ただ、問題発言したら「辞任しろ!」、辞任表明したらしたで「逃げるな!無責任!」って言うようなポリシーのない人間にはなりたくないですな。

まとめ

  • 女性がどうこう関係なく、議論において意見がたくさん出るのは民主主義として正常
  • 女性だからという理由でポストに任命するのはただの男女差別
  • 〇〇の女性の割合に目標値を決めるのは本質的ではないと思う
  • 言い方(特に大きい主語を使って対象を批判するなど)には気をつけましょう