ニュース記事はタイトルだけじゃなくて本文も読もうぜ

はじめに

最近思うこと。

ネットニュースなんかで、タイトルだけ読んで本文を読まない人が多い気がする。別にそれ自体はいいんだけど、タイトルだけしか読んでないのに批判コメントとかしている人がいて本当に滑稽。マジで面白いよ、本当に。

「それ、中身を見れば書いてあるよね」っていうようなコメントをしている。「なんで〇〇なの!?意味わかんない」みたいなコメント、理由は本文に書いてあったりするんだけどなぁ…。

こうなった原因は3つあると思っていて、

  1. 過激なタイトルをつけるメディアが増えた
  2. SNS用に短いタイトルをつける必要性が増えた
  3. コンテンツが飽和していていちいち細かく見るほど時間の余裕がない

あたりではないかと思っている。

過激なタイトルに関しては、いわゆる炎上商法みたいなもので、品質はともかく注目を浴びてPVと広告収入が稼げればヨシ!みたいなメディアが増えたということだろう。嘆かわしいことだと思うが、今のネット社会はそういう性質とマッチしているとは思うので仕方ないのかもしれない。

短いタイトルをつける必要性も、たとえばTwitterで記事をシェアする時を考えるとあまり長いタイトルはつけられない。短い言葉で端的にタイトルをつけて、本文で詳細を補足するというスタイルになっていると思う。「それにしても要約ヘタクソか!」と思うこともあるが、まぁ私もあまり人のことは言えない。これは、本文で補足できると思っているメディア側に対して、本文までは読まないユーザーがいるというミスマッチが悲劇だと思う。(どちらの事情もわかるし、どちらが悪いとは思わないが)

そして、いちいち細かく見るほど時間の余裕がないという点。このブログにも以前書いたが、現在はありとあらゆるコンテンツが飽和しており、可処分時間の奪い合いをしている。ちょっと前まで「隙間時間で〇〇」みたいなキャッチコピーをよく目にしたが、まさにその隙間時間ですらうまくハンドリングできないというユーザーも多いのではないだろうか。そんな中で、「わざわざ詳しく見るほどもないけどこの問題には関心があるから一言申し上げたい」みたいなユーザーが、極端なタイトルだけを見て的外れなコメントをするという地獄絵図が完成する。

最近観測した事例を4つ挙げてみる。

五輪予算3959億円、コロナ対策費809億円

国の五輪予算3959億円に膨張 コロナ対策費809億円

タイトルだけ見た人は五輪予算は3595億もかけているのにコロナ対策費は809億円しかない!みたいに思うかもしれない。

記事の内容をよく見ればわかるが、

約1年前の前回発表時は約2777億円だったが、新型コロナウイルス感染症対策の809億円などが上積みされ

とある。つまり、3595億円には809億円も含まれている。

この記事への反応としては「五輪にこんだけ金かけるのに、コロナにはこれだけ…」みたいなコメントがあった。

多分タイトルだけ読んでいるのだと思う。だって本文読んでたら3595億円と809億円の比較には意味がないとわかるから…。

まぁこれは記事のタイトルがどう考えてもおかしいと思う。まとめるのヘタクソすぎるでしょ。

「国の五輪予算3959億円に膨張 コロナ対策費809億円」とするだけでもだいぶ違うと思うんだけど、なんでこうメディアは大手になればなるほど、正確に伝える努力を怠るのだろうか。

なお、以前も「最近のニュースに色々コメントしていく(2021年1月)」という記事にも書いたけど、個人的には五輪は嫌いである。なので中止か、少なくとも延期すべきだと思う。中止にして五輪予算をCOVID-19対策か、困窮している飲食業や観光業その他をサポートすればいいと思うんだよなぁ。まぁこの記事には関係ないのでこの話はこれでおしまい。

「辛抱して」

IOC会長「どうか辛抱して」 日本国民に理解求める

上記記事への反応に、「日本国民はCOVID-19のリスク下で辛抱して開催を受け入れろと言うの?」みたいな反応がチラホラある。

記事を読めば分かるが(上記記事は有料記事だが無料部分に書いてある)、

コロナ対策の具体的な内容を決めるのは時期尚早だ。どんな対策を講じるかの情報は、どうか辛抱して待ってほしい

と発言したとある。つまり、「開催するのを辛抱して」ではなく「どう対策するかの情報は(後から開示するけど今はまだ)辛抱して」ということである。

だから、「辛抱して開催を受け入れろということ!?」というツッコミは的を得ていない。こんなもん、面倒くさがらずにリンクをクリックして読んだら10秒で得られる情報である。それすらしないで的外れなコメントをしてもバカさが露呈するだけだ。恥ずかしくないのだろうか?

結果的に大筋の意味はそんなに変わらないけど、「辛抱する」という言葉の文脈が違うので批判するなら正確に意味を理解してから(少なくとも該当箇所を読んでから)すべきだと個人的には思う。都合のいいようにタイトルを解釈するのは愚かだ。

GitHubにソース流出

GitHub上に三井住友銀の一部コードが流出、「事実だがセキュリティーに影響せず」

GitHubにSMBCなどのソースコードが流出した件。これは大手の名前が出たからか、エンジニア界隈以外でもかなり話題になっていて意外だった。変な言い方だが、非エンジニアの人でも意外とGitHubって知ってるんだなと思った。

さて、この件は上記記事にあるように、流出させたのは艦これユーザーであり、流出が発覚した発端になったのは艦これユーザーが起こしたトラブルだそうだ。

だが、流出させた目的は「GitHub上のソースコードを元に年収を査定するというサービスを利用するため手元のソースコードを内容を確認せずアップロードした」ということであり、流出そのものと艦これは全く関係がない。

だが一部メディアはこうして艦これの名前を出している。これは全く関係のない話であるにもかかわらずだ。

案の定、艦これを非難するようなコメントも一部で見受けられた。ただ、この件は「艦これは関係ないだろ」と主張している人も結構いる。なんというか、興味を集めるような内容だっただけに多くの人の目で精査されるようなことになったのだと思う。

Apple WatchによるiPhoneのロック解除

iPhoneがマスクしたままFace IDロック解除に対応、ただしApple Watch必須 (設定方法)

これタイトルも相当おかしいと思うけど、内容は別にFace IDは一切関係ない。Apple Watchを併用すれば鼻と口をマスクで隠していてもFace IDによるロック解除を補佐してくれるというものではない。本文を読めば分かるが、タイトルだけを読んだらFace IDと関係ありそうな内容に見えてしまうだろう。

詳しくない人のために書いておくと、Face IDとはいわゆる顔認証で、マスクをしていたら利用できなかった。記事の内容としては、Apple Watchという別のデバイスを連携させればそちらでiPhoneのロック解除もできるよ、というだけの話である。

たとえば、「Face IDの方がTouch ID(指紋認証)よりも楽だからこれはありがたい」といったような反応があるが、そもそもこの記事で説明している機能はFace IDではない。記事をしっかり読めばわかることである。

じゃあどうすればいいのか

もうこれは言っても仕方ないのかもしれないが、「知りも調べもしないなら口を出さない、口出しするなら最低限記事くらいは読む」という意識をつけていくしかないんじゃないんだろうか。時間がないから記事を読まない。それは結構なことである。だが、多くの人は、多くの事柄に関しては専門的な知識を持っていない。我々の持論も、恐らくは誰かの受け売りであることが多いだろう。

そういう状況でコメントしたいのであれば、最低限記事の中身くらい読んでコメントをするというスタンスを身に着けるべきだと思う。的外れなコメントってめちゃくちゃ恥ずかしいし、他人に関心がない多くの人はわざわざ教えてあげたりしないから、コメントした本人も勘違いしたままで成長もあらたな発見もなく誰も幸せにならない。

私もよくGoogleがオススメしてくれる記事(私の趣味嗜好に沿った記事をレコメンドしてくれる)や、気になるコンテンツのFeedを読んで、一言二言添えてコメントをしているが、ちゃんと内容を読んでいるのである。読解力不足でトンチンカンなことを書いていることもあるかもしれないが、批判するにしても賛同するにしてもしっかり読み込むように意識している。

個人的にオススメなのは、コメントをする際に内容を引用することだ。この箇所が良い、この箇所がおかしい、などと具体的に書くようにすれば、本文を読む癖も自然と付くと思う。

たとえばTwitterなどでは、記事のリンクをRTしようとすると「先に本文を読みませんか?」みたいな感じで一度クッションを入れてくる。ある意味、Twitterとはそういう意味でポリシーが一致している。

あと近い例だが、西野氏がプペルの感想っぽい不適切な内容のツイートをRTしたみたいなツイートを見たが、これも事実だとしたらとんでもないことだと思う。

実際にそれを見たわけではないしスクショを見ただけだが、スクショはいくらでも偽造できるので事実かどうかは私には判断できない。

これもよく内容を読めばRTすべきかどうか、不適切な文言が入っていないかは容易に想像できたと思う。

もしかしたらツールを使って、キーワードを含むツイートをRTしていたのかもしれないが…。

しつこいが、西野氏の件に関しては事実かどうかはわからないので、事実だとしたらという話をしている。

まぁ何が言いたいかというと、結局何かしらを拡散するのであればある程度内容は読んでからにしましょうということである。じゃないと、的外れなコメントを拾われてこうやってブログのネタにされてしまいます。