行間を読み取るのが苦手です

もう本当に苦手なんですよ。発信者が明記していない隠された真意を読み取る、みたいなの。なんかめちゃくちゃ苦手です。自分と違う生物が何を考えているかを想像するのがしんどい。私は交友関係でも「察して」みたいな雰囲気を出されるのが苦手で、思ったことはなんでもズバズバ言ってくれる方が好きです。たとえ自分にとってマイナス的なことでも、それが信頼している友人や家族の言葉だったら好意的に受け止めているつもりです。といいつつ、当の私は割と「察して」的な雰囲気を出しがちで、それが原因で親友と喧嘩をしたこともありもしましたが…。これに関しては本当に申し訳なく、また人のこと言えないだろって感じなのですが、まぁ矛盾しますが私は察するのが苦手なんですよね。

私ももうすっかり二次元オタクですが、モジモジして何考えてるかわかんねーような子ではなくて思ったことはハッキリと言葉や行動に出ちゃうタイプの直情的で活発な子の方が好きになる傾向があります。前者のようなタイプが嫌いという訳ではなく、そういうキャラも好きになったりしますが傾向としては後者のようなタイプを好むことが圧倒的に多いです。例を挙げると、ごちうさではマヤが好きですし、きんモザでは陽子やカレンが好きですし、のんのんびよりではなっつんが好きです。そんな感じです。この辺はボーイッシュが好きというのも関係あると思います(どっちが先かは分かりませんが…)。

コミュニケーションでの「察する」と、表現物を解釈する時の「察する」はどちらも苦手なのですが、なんというか苦手な理由が微妙に違うんですよね。

コミュニケーションで察するのが苦手な理由は、なんかこっちが相手の真意をくみ取るということがそもそも疲れるので嫌。で、こっちが察して色々しても、相手がしてほしかったことが違っていた時に徒労に終わるのが嫌。で、相手がそこで困ったり呆れたりキレたりするのを見るのが嫌。その対応や後始末をするのも嫌。なんでこっちの時間使って色々してやってんのに最終的に謝らんといかんのじゃボケェ!と思う。アンガーマネジメント教育を受けていないので。

だったら初めからやってほしいことを明確に伝えてくれよ、そしたらお互いの時間も無駄にならないし、相手は相手で望む結果になるし、こっちはこっちで相手が喜ぶリアクション見れて万事OKやんけ。と思います。もし明言しにくいようなことなら俺じゃない誰かに頼んでくれと。

実際にやるかは別としても、例えば「夕飯何がいい?」と聞いて「なんでもいいよ」と答えられたら私なら面倒なので卵かけご飯とか冷奴とか単品の納豆とかを出すでしょうし、「コンビニ行くけどなんかいる?」と聞いて「適当に甘いもん」と答えられたら砂糖とか買っていくかもしれません。そこで、「いや『夕飯なんでもいいよ』だったら普通は無難なもんじゃない?焼き魚とか」とか「『コンビニで甘いもん』って言ったら普通プリンとかゼリーとか買って来ない?」とか言われても知らん。知らんね。お前の普通を俺に押し付けるなって感じ。こっちに察させるな、リソースを使わせるなって思いますよ。焼き魚が食べたいなら「なんでもいいよ」じゃなくて「焼き魚」と言ってほしいし、プリンが食べたいなら「適当に甘いもん」じゃなくて「プリン」と答えてほしい。ほんの少し具体的に言う手間を自分自身がサボっておいて、結果の不利益をこっちに文句言うとか頭おかしいのか、自分の言葉には責任を持てバカ。って思うよ。うん。実際にやるかはおいておいてね。というか実際には空気を読んで雰囲気で察してベターなもんを買ってくると思いますが、でも正直こっちで考えるよりは欲しいもんをハッキリ言ってくれたほうが楽ですな。ぶっちゃけな。

要するに多分自分は気遣いができない(苦手な)タイプの人間なんだろうなぁと思う。これはもうどうしようもないんだなぁ。親しい人には最大限喜んでほしいけど、別に職場でだけお付き合いがあるだけの他人が喜ぼうが悲しもうが自分に不利益がないならどうでもいいもの。病院に行ったら何かしらの病名を貰えるかもしれん。

だからあとはなんだろう、これもネットジョーク化しつつあって実際のところは分からんし、当事者の方が見たら不快になるかもしれないけど、イジワルな京都人の話とかね。いや本当に当事者の人には申し訳ないけど、しばしば京都人はイジワルみたいな話がネット上で話題になると思うんですけど、ああいうのも私は言葉の裏側を読むのが苦手ですね。たとえば有名なのだと「(建前)ぶぶ漬けでもどうどす?」→「(本音)そろそろ帰れ」とか、「(建前)ピアノお上手になりましたなぁ」→「(本音)ピアノうるせーんだよ」みたいな。京都弁(京ことば?)はよくわからんので微妙に表現が違ったら申し訳ないですが、まぁこういう人が実在するかはともかく、こういう話はしばし見聞きします。ちなみにぶぶ漬けってお茶漬けのことなんですね。最近まで知らなかったです。カブか何かの漬物とかと思ってました。私は昔から野菜が苦手で、最近は割と積極的に食べるようになったものの漬物系は苦手です。これも漬物を作っている仕事の人とか趣味の人には申し訳ないけど、漬物は野菜の苦手な部分を凝縮してコーティングしたみたいな、なんかそんな感じがして苦手です。たくあんは食べられるけど他はきつい。らっきょうとか梅干しとかも苦手ですね。あとなんか分からんけど、なんとか漬けみたいな多種多用な漬物。福神漬けは子供のころは食べられましたが、よく見るとなかなかグロテスクな集合体に見えてきて苦手になりました。でも最近はサラダとかを頑張って食べてる。偉い。あぁこんなこと書いたら「野菜食べて偉いって、野菜は美味しいから食べるんだよ!野菜食べて偉いとかバカなんだよ!」とか言われるかもしれん。まぁ美味しい野菜があるのは認めるが圧倒的にお肉とか魚の方が美味しいからね。でもバランスよく野菜も食べてるから偉いと思うよ。俺は個人的にそう思うよ。なんの話だ。時を戻そう。

私だったらぶぶ漬けはありがたくいただきますし、ピアノ褒められたらお礼を言いますね。もうこれは意地の勝負です。私は行間が読めない上に頑固なんです。ちなみに熊本(や九州の一部?)では頑固なことを「もっこす」と言います。でもあまり単体では使われず「肥後もっこす」という使い方をされますね。めちゃくちゃ頑固な様子みたいです。若い人はあまり使わないかもしれません。「あん人はごっもっこすかけんな(訳:あの人は大層頑固でいらっしゃいますからね)」みたいな感じで使われます。今軽くググってみたらもっこすって割と意味自体は全国的に浸透してるんですかね?もっこすって字面が面白いんですよね。なんか全国の人が知ってるとしたらちょっと恥ずかしいですね。全国的に有名な熊本弁だと「あんたがたどこさ」なんかが有名ですね(ですよね?)。その昔伊藤家の食卓というTV番組があり、あんたがたどこさの歌の「さ」の部分で前にジャンプしてそれ以外は左右にジャンプするという遊びが放送されてから、当時の小学校の担任のW先生がとてもハマって教室中に強いたものだから、やりたくもないのに強制でやらされるというクソみたいな、流行り病みたいな現象が発生しましたがあれは本当にやめてほしかった。今考えると腹立ってきますね。W先生のことは嫌いではありませんでしたが、あれは本当にね、しんどかった。おおっとまた話が逸れた。時を戻そう。

そういう理由で遠まわしに言ってくるような言い方とはあまり相性が良くないです。さすがにあからさまなのは分かりますが。そういえば前の職場でちょっと偉い人と一緒に仕事をする機会があって、最初の方にトラブルがあり予定していた自己紹介とかの挨拶が出来なくて、その後数カ月くらいその偉い人が別の人に私の話をする時「あのナントカ君が~」って聞こえよがしに言ってきてた時はマジでブチ切れそうでした。もちろん私の情報は共有されていますし座席表に私の名前も載っているし顔写真入りの社員証を付けているので分からないハズはないのですが、それを先輩にグチったら「ま~バタバタして挨拶できんかったけん冗談で皮肉っとらすとやろね~(訳:あなたの言い分ももっともではございますが、しかし当時は忙しく挨拶ができなかったことは事実であり、そのことを冗談ぽく皮肉っていらっしゃるのでしょうね)」と言われましたが、いや偉い人どんだけだよと思いましたね。結局途中からは別チームになってその人と接する機会は激減しましたが、会うたびに「何君だったっけ?」とか面と向かって言われてマジで腸煮えくりかえってました。あれも「一回ちゃんと挨拶しに来いや」っていうことだったんでしょうけど、もうその時は転職する気満々でしたし、職場でしか接点がないこの人と関係が破綻してもいいやと思っていたので、新人ゆえの謎のイキりもあって意地でも挨拶しに行きませんでした。頑固なので。というかそういう性格の悪い(と私は思う)人と積極的にお近づきになりたくねー、と思いました。

で、もう一つの表現物の解釈において察するのが苦手なのは別の理由で、表現者が発信しようとしたこと以外を汲み取りたくないというか、穿った解釈をしたくないというのがあります。これも変な話で、多分共感していただける人は少ないと思うのですが…。

説明も難しいのですが、がんばって書いてみますね。

たとえばヤマノススメという作品があり、これはめちゃくちゃ噛み砕いて紹介すると二人のヒロイン「あおい」「ひなた」を中心に、山に登ったり登らなかったりしながらストーリーが進む作品なんですけど、この二人を女の子同士のカップルに見立てた二次創作などが多い訳ですね。そういう解釈や、そういう解釈をすること自体の是非についてどうこう言いたい訳ではなく、というかどちらかと言えば私もその「あおひな」は良い二次創作と思っている派なんですが、それはあくまでアニメなどを見た後の解釈なんですよ。

おそらく公式的には「ヤマノススメ」という作品内であおいとひなたは交際していないんですよ。仲の良い親友という関係だと思うのですよ。なのでアニメを見る段階では、あくまで「あおいとひなたは別にカップルでもなんでもない」と思いたい派なんです。アニメの中で喋って動くあおいちゃんもひなたちゃんも別に互いに恋愛感情的なのはないと思うんですよね。なので、そういう前提のもとアニメを見たい。しかし、見た後に「こうだったらいいなぁ・・・うへへ」とあおひなを連想することは別なんですよ。で、ややこしいんですけどアニメを見ながら「この二人は交際している」という前提があると、それはなんか変な解釈をしているというか、「変な」というのは「異常な」という意味ではなく、本来伝えたかったであろう表現とは違うものを勝手に噛み砕いて再構築して見ているような、なんかそういう感覚になるんですよね。別にそういう見方をすることを否定はしませんし、そもそも表現なんて受け手の解釈次第というところもありますが、でも私はできるだけ本当に伝えたかったことをそのまま受け取りたいな。で、それとは別にIF的に妄想したいな、と思うタイプです。ややこしいですけど伝わるかな…。

なので、たとえば解釈次第で恋愛感情を抱いていると思えるようなシーンでも「いや、それは…違うかな」となるタイプです。前述した通り解釈次第なので、その人にとっての事実があるだけで、正しいも違うもないんですけどね。だからそういう解釈次第でそう思えるようなシーンとかを別の視点から見たりする、という意味で表現物の行間を読むのが苦手です。

念のため書いておきますが、私はあおひなを否定しませんし二次創作も否定しませんし、二人が交際しているという前提でアニメを見ることもおかしいとは思いませんしあおひなは付き合ってて欲しいです。これはハッキリと表明しておきます。

とまぁ、なんかよーわからんですけど疲れたので以上で終わります。行間を読むのが苦手というお話でした。