安易に老害と呼んではいけない

以下の記事を読みました。

マスク着用求めた職員に「この若造が」 市議が怒鳴る

あんまりこういう時事ネタについては書きたくないというか、書いてもしょーもないというか、そう思ってはいるのですけど、この機会に色々表明しておきたかったので書いてみます。

マスク着用を求められて「検体を出すだけだからその必要はない」と怒鳴り散らかし、マスクを取って帰ってきて「この若造が!」って面白くないですか?

取材に対してこの市議は

 「大声なのはいつものこと。威圧するつもりはなかった。申し訳ない」と釈明している。

とのことですが、普段から声が大きいという自覚があるのであれば、なおさら意識的にマスクを着けるべきだと思います。大声で喋ると口から出る飛沫が大きく、そして多くなるという研究結果もあります。

極めつけは「この若造が!」という発言ですね。こういう考え方をする人生の先輩方はたくさんいらっしゃいます。同様に、若者の中にも「この老害が」などといった言い方をする人もいらっしゃいますね。

こういう言い方が出てくる理由としては、その人の発言内容が論理的に正しいか、合理的かというのを判断していないからだと推測します。「こいつは若造だから(老害だから)こういう意見が出てくるに違いない。だからこいつの言うことは聞くに値しない。なのに従わされるのがムカつく」という考え方が無意識にでもあるのではないでしょうか。

議論の場などでは特にそうですが、建設的に話し合いを進めていく上では「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」を重視すべきだと思います。発言者の立場や属性を抜きにして、その意見の本質を見るべきだと考えるべきだと思います。

ただ少し矛盾する考え化もしれませんが、立場や属性も重視するシーンはありまして、たとえば「その辺のおっさんが匿名で言っていること」と「専門家が実名を出して言っていること」であれば、当然後者の方が説得力があり、信用に値すると思います。また、新入社員の意見とベテラン社員の意見であれば、後者の方が経験を多く積んでいる分、様々な観点から考慮されているだろうと推測できますよね。(余談ですが、東京03のコントにもこういった内容がありました)

今回のケースでは、医療従事者(おそらく)の発言という意味で「マスクをしてください」という発言は筋が通ります。万が一、件の市議が「医療従事者とはいえ若造だから、こいつの言うことに従うのは気に入らない」と思っているのであれば問題だと思います(実際にそのように思われたかはわかりません、私の想像です)。そもそも相手をリスペクトして台頭に向き合おうと意識していれば「若造が!」なんて発言は出ないと思います。

あと記事中に書かれていないので分かりませんが、若造呼ばわりしたことについて謝罪がされていないのだとしたら色々と「あっ、察し…」となりますね。それが問題だと自覚していらっしゃることを望みます。記事に書かれていないだけで、若造呼ばわりしたことについても謝罪はされているのかもしれないですが…。

今回の件で市議を老害呼ばわりしている発言をいくつか見ましたが、それは市議が職員を「若造」呼ばわりしたことと何も変わらないと思います。こうやって高齢者を老害と呼ぶのは個人的にはとても醜いことだと思います。同様に、市議がやらかした今回の一件もとても醜いことだと思いますが。

まとめると、

* 自分では不要と思ったとしても職員の指示には従おう
* 普段から声が大きいのであれば、ならなおさらマスクは大事
* 誰が言っているかじゃなくて何を言っているのかの方が大事だと思う
* でも誰が言っているかを考慮しなくていい訳ではないよね
* 何かをやらかした高齢者を老害呼ばわりするのってどうなの?

そんなところです。