【夢日記】見えない子

見えない子

五階建ての巨大な保育園に保育士として勤めている。正確には、今日から勤務し始めた。

ここは不思議な保育園だった。まず学年別に十ずつの組が用意されているというが、実際に預けられている子どもは一人も見当たらない。にも関わらず、どの先生も忙しそうにしている。職員室はホテルのロビーほどの広大なスペースで、先生たちが十数人いて作業をしている。書類の山を持ってコピー機、FAX、シュレッダーを行き来したり、印鑑を押してホチキスで束ねたり、資料の読み合わせをしたり……。私は新人にも関わらず最初に園長代理という人と話をしただけで、どこに行けばいいとか何をすればいいとか、そういったことは何も言われていなかった。ただ忙しそうにしている先生たちを、手伝うでも声をかけるでもなく、ぼっと傍観しているだけだった。

その時、来客を告げる鐘が鳴った(なぜかその鐘の役割は知っていた)。しかし誰も出ようとはしない。「今忙しいから誰か対応してよ」みたいな表情をするでもなく、まるで鐘なんて鳴っていないとでもいうような表情で足を止めることすらなく作業を続けている。もう一度鐘が鳴った。急かされている気がして仕方なく私が外門へ向かう。するとそこには五十路手前くらいのやや小太りなおばさんが立っていた。チェーン付きの眼鏡をしている。語尾に「ざます」とかを付けそうなタイプのおばさんだった。あと香水の香りが強くて咽せかけた。

「こんにちは。園長先生はいらっしゃる?」

ざますおばさんが口を開いた。
私は答えあぐねた。何せ園長がいるかどうかは知らないし、それどころか園長の名前も顔も性別すらも知らないからだ。今日だってもともと園長から直接いろいろ説明を受ける予定だったが園長代理の人に案内され(案内といっても外門から職員室へ移動し、その後はどこかえ消えてしまい放置された)、園長との面会すらしていない。

どうしよう、一旦他の先生に助けを乞うかと一瞬頭の中で考えたが、忙しそうにしている他の先生に話しかける勇気もない。名前も知らないので「〇〇先生、すみません」と呼びかけることもできない。
仕方がないので、

「すみません、今ちょっといないみたいで」

と言うと、ざますおばさんは

「あーらぁそうなの。それならこれを園長先生に渡しといてくださる?」

そう言って紙袋を渡してきた。私は受け取りながら、中身が気になるが開いてみたら失礼かな、などと考えていた。そんな私の心情を見透かしたかのように

「この間のお礼のお菓子。先生方でお食べになって」

と言った。なるほど、言われてみれば紙袋越しでも甘い香りが漂ってくる。失礼だが、ざますおばさんはいかにもお金持ちという印象だから、もしかしたら滅多に食べられない高級デパートのお菓子とかかもしれない。

「ありがとうございます、いただきます。失礼ですがお名前は……」
「あらあなた新人さん? 私はヨシナガよ。そうだ、良かったらこの保育園のこと案内して差し上げましょうか」
「えっ」
「それを置いたらまた、ここまで来てちょうだい」
「はあ」

というやり取りの後、私は紙袋を持って職員室へ戻った。空いていそうな机に、その辺から付箋とペンを取って「園長へ この間のお礼 ヨシナガ様より」とメモを添えて置いてきた。
再び玄関へ戻ると、ざますおばさん、もといヨシナガさんはさっきより30cmくらい背が伸びているようだった。

ヨシナガさんは保育園の敷地内にある運動場へと私を連れて歩いて行った。そういえば得体の知れない人を敷地に入れてよかったのだろうかとふと思ったが、園長の知り合いらしいので別にいいか。
運動場のちょうど真ん中の辺りに行くと、誰もいないはずなのに子どもたちの笑い声のようなものが聞える。

「ここは見えない子たちの保育園なの」

ヨシナガさんはそう言った。彼女によると、見えない子というのは文字通り姿かたち(おそらく着用している衣服も)が透けていて、まったく見えない子どものことらしい。見えない子は毎年何十万人も生まれているが、多くは成長するにつれ自然に見えるようになる。でも一定数、成長してもなかなか見えるようにならない子がいる。この保育園は、そういった見えない子が成長して、見えるようになるまでの期間通う施設らしい。見えない子は自分が他の人に見えていないことを知らないので普通に接してくるが、先生たちはしっかり対応しないといけない(見えない、わからないなどと伝えるのはタブーらしい)。だから基本的に勤務しているのは見えない子が見える特殊な体質の先生だが、そのような先生ばかりではないらしく、他の先生たちは仕方なく特別な眼鏡を通して見えない子を見ないといけないそうだ。そういえば、職員室の先生たちはみんなお揃いの眼鏡をしていたような気がする。

「でも私は見えない子が見えませんし、そういう眼鏡も持っていません。支給もされていませんよ」
「そうよ、そうでしょうね。見えない子が見えるようになったかどうかは、見えない子が見えない人にしか判断できないでしょう。だから、その判断のためにあなたは呼ばれたのね」

ヨシナガさんは少し悲しそうに、ある一点を見やっていった。

「そこに、といってもあなたには見えないでしょうけど、そこに私の妹がいるの。もう何十年も見えない子のままで、ずっとここに通っているのよ」
「何十年もですか!?」
「そう、何十年も。途中で数えるのをやめたの。見えない子は、見えない間は成長がとても緩やかであんまり年を取らないから、まだこんなに小さい子どもなんだけどね」

ヨシナガさんは自分の腰のあたりで掌を水平に動かした。

おわり。