「お母さん食堂」の名前を変えても多分そんなに意味ない

以下のニュースを読みました。

食事を作るのはお母さんだけですか? 女子高校生がオンライン署名を呼びかけ

最近こういったジェンダーを意識させないような感じにしましょう!みたいな取り組みがかなり活発だと思います。それ自体はとてもいいと思います。が、さすがにちょっと窮屈すぎる世の中になっている気がしてならないです。

私のスタンスは過去の記事(『自分の好き嫌いや主義主張を他人に押し付けるのはやめよう』、『「フェミニストの話が食い違う理由」を読んで思ったこと』)にまとめていますが、簡単に言うと「人は性別以外にも信条や立場、考え方、国籍、人種その他で不当に差別されるべきではない」ということです。加えて言うと「自分の考え方や価値観や観念を他人に押し付けてはいけない」とも思います。

そもそも人がどの程度他人を許容できるかというのは差があると思います。パーソナルスペースという言葉がありますが、これは精神的なことにもある程度当てはまると思います。人が人を尊重できるキャパみたいなのは個人差があって、各々が自分の手足の届く範囲で最大限他人を尊重すれば良いと個人的には思います。自分を犠牲にしてまで他人を尊重するべきではない…というと変な言い方ですが、自分を犠牲にしている時点でそもそも自分を尊重できていないということにほかならず、自分を尊重できない人に他人を尊重することなどできやしないと思っています。

だから、他の誰かに対して「あいつは自分勝手な奴だ」と思うことがあったとしても、その人はその人なりに他者を思いやっているのかもしれません。他人の目にどのように映ったとしても、それは本人以外にはわからないからです。それを「私はこれだけ思いやりがあります」とアナウンスしてアピールするような自己犠牲キャンペーンが私は大嫌いです。だってそれは最終的に「みんな自己犠牲して他人を尊重しましょうね!!!」という押しつけになりかねないから。そうなれば思いやりどころか他人を尊重することすらできなくなります。なんとも悲しい結末です。

やや話が逸れたので戻しますが、冒頭で紹介した記事には以下のようなことが書いてあります。

「お母さん食堂」という名前ではどうしてダメ?
誰もが、「料理をするのは、お母さんだけ」だと思ってしまう。

そうかぁ?それはあなたの感想なのでは?少なくとも私は思いませんので、「誰もが」なんていう主語は使わないでいただきたい。

「お母さん食堂」という言葉から私が想像するのは、お母さんがやってる食堂、のみです。なんでこれで「男性は料理をしない!」っていう認識を助長するという感想を持つんでしょうか。もっと社会を広く見てみたらいいんじゃないですかね。

私は男性で、実家暮らしですが家事もしますし男性で家事や育児に参加されている方もたくさん知っています。そういう環境にあるから、「お母さん食堂」という言葉からは「男性も女性も料理はするけど、お母さん食堂はお父さんとお母さんのうちお母さんが提供している場、食事なのだな」という印象を受ける訳です。なんでダメなんでしょうか?

「お母さん食堂=女性しか家事・料理をしない」と思い込むような人は、お母さん食堂というネーミング以前にそういう固定観念がある人だと思います。ネーミングの問題じゃなくてその人の考え方や育った環境などの問題じゃないんですかね。仮に「お父さんお母さん食堂」みたいな名前になったとしても、そういう人が「おっ、名前がお父さんお母さん食堂になっている。今は女性だけではなく男性も家事や育児をする時代だもんな」とは絶対に思わないと思いますよ。多分何も考えないと思いますよ。だって根本の原因はネーミングじゃなくて本人の意識や考え方なんだから。

たとえば看護婦や看護士という言葉は廃止されて(正式に廃止されたかは知らんけど)、看護師という言葉を使うようになりましたよね。これも初めから「男性も女性も看護婦・看護士として働いているよね」という認識を持っている人であれば何も影響しないんですよ。でも頭の固いジジイ、もといおじさま、もといお兄様あたりは「男なら看護婦じゃなくて医者を目指さんか!」とか未だに言ったりしてる訳じゃないですか、きっと。ネーミングが変わっても、人の意識を変えることにはほとんど繋がらないと思いますがいかがでしょうか?同様に女子アナや女社長という呼称を改めたとしてもそこまで意味はないと思います。

このままでは、いつまでも女性だけでなく、男性にとっても生きやすい社会になりません。

私は男性ですが、別に「お母さん食堂」が「お父さんお母さん食堂」という名前になろうとならなかろうと、生きやすくなったり生きにくくなったりしません。表面的なことが変わっても根本的な部分は変わらないからです。

なので、もし本気でジェンダー間格差を感じていらっしゃって、それをどうにかしたいと思っていらっしゃるのであれば、こうやって表面的なネーミングを変えましょうという活動よりは、小学校の道徳の授業にジェンダー間格差を取り払う意識を持つような内容を入れるとか、なにかそういうカリキュラムを入れられるよう署名を募るとか、そういう方がはるかに効果があると思いますよ。その頃の考え方って結構尾を引いてその後の生活や価値観・人生観に影響をもたらしますから。小学生の時のことめっちゃ覚えてますし。

余談ですが私は小学生の時にやった「マジカル封神」というゲームが大好きで未だにやりたいと思っているのですが(ハードやソフトはどこかに失くした)、今調べたら制作会社がなくなっててVC版も出なさそうなのですごく悲しいです。ちくせう。

話を戻しますが、この名前変更が実現されたとして、それ自体に意味はないと思っています。しかしこうやって行動するというのは素晴らしいことだと思います。少なくともツイフェミと言われるような人たちの一部の、Twitterでギャーギャー騒いでいる割に具体的なことはやろうともせず自分の頭で何も考えてないから誰かが言っていたことしか言わないような、非論理的で差別的なしょーもない人たちと比べれば、課題と解決策を考えて署名の呼びかけをするという行動力は素晴らしいと思います。ツイフェミと言われる方々の一部の、女性の立場向上が目標とは思えない、単に男性を貶めたく、男性に強い意見を言える私キラキラしてる?、私は社会活動家、毎日がエブリデイという主張が見え隠れする、ポリシーや美学やセンスや知能や行動力がない皆さんもぜひこの高校生の方を見習っていただきたいです。

今回の結果がどうであれ、「私は女性と男性ができるだけ性差を意識しなくなる社会にしたい」ということには賛成です(身体の構造上の違いや男女どちらか固有の仕組みがあるので完全に意識しないことは不可能かと思われます)。私はそう思わないというだけで、ネーミングと男女間格差にも因果関係があるのかもしれません。そういったことをご自身の頭で論理的に考えて行動なさっているのであれば、それは素晴らしいことだと思います。発見は行動を、行動は体験を、体験は知識を、知識は知恵もたらします。ぜひこの活動を通して何かしらの発見やご自身のプラスになるようなことを体験し、いつか実を結ぶことができるよう心からお祈り申し上げます。

と同時に、このニュースを深く知りも調べもしないで揶揄するような意見が見られるので、やはりこういう意識改革のためにはまず教育を…と個人的には思うということを付け加えさせていだきます。

参考