自分が好きなものが他人も好きとは限らない

アニメとかゲームとか映画とかなんでもいいんですけど、「Aが好きなんだよね」と言われて「へー。俺はどっちかっていうとBの方が好きなんだよね」みたいなことを言うと、なんかやたら不機嫌になる人がたまにいるんですけど、もう本当に意味が分からん。

例えば言い方とかニュアンスとかが悪くて不機嫌になるならまだ分かるんですけど、なんというかこういう人って「俺が好きなAをコイツは否定してくる」的なことに関して不機嫌になるっぽいんですよね。実際は別に否定とかしてなくて、「あなたはそうなんだね。私はこう」というやり取りをしているだけなのに、なんで自分が好きなものが他の人からも好かれてないと不機嫌になるんだろう。

人間の好みや(本来の意味での)性癖って多種多様じゃないですか。たとえばこの文章を打っているキーボードとかも、こだわる人はキーボード沼とかいってとことんこだわりますし、こだわらない人はとりあえず打てれば安物でOK、みたいな感じじゃないですか。キーボードにこだわる人の中でもさらに、メカニカルがいいとかパンタグラフの底打ち感がたまらんとか、HHKBじゃないと使えませんんとか、やっぱBluetooth/Wi-Fi/有線どれでも使えるのが一番いいよねと思う人とか、LEDのギラギラしたゲーミングキーボードは絶対デスクに置きたくないとか、いやいやキーボードが光ってないとテンション上がらんしキルレが下がるんや!みたいな人もいますよね。んでメカニカルの中でも青軸がいいとか赤軸がいいとか、銀軸じゃないとまともにゲームできないよねーwとか、キーによって軸はカスタマイズしてますとか、それぞれの好みや評価軸がどんどん分岐していく訳ですよ。でもそれって定量的にこだわる人とこだわらない人のどちらの方が優れているみたいな評価をすることってできない訳ですよ。だからこそ市場には色んな製品がある訳ですよね。万人にとってこれが一番いいという唯一の製品があったら、何種類も市場に出回ることはないですよね。

これがね、例えば「Aが好きなんだよね」に対して「Aを選ぶやつはニワカ。作品の良さってもんを分かってないよね。まぁ目が肥えてなくてAで満足できるうちに楽しめばいいんじゃないかな。僕は少なくともBくらいのクオリティじゃないと満足できなくなっちゃてるんだよね」とか言われて怒るならまだわかりますけど、そうじゃなくて好きなものを相手が好きじゃなかったら嫌な気持ちになるって、言っちゃ悪いけどめちゃくちゃ幼稚だと思いますよ。自分が好きなものは他の人も好きなはず、そうあるべきっていうのはすごく傲慢な考え方だと思います。

多分こういう人って、自分が好きなものが否定された=自分自身が否定されたみたいな受け取り方をするんだと思います。でも別にそういうことはなくて、別に相手のことは嫌いじゃないけど、この分野に関しては好みが別れてるよねってだけの話なんですよね。どっちが優れているとか劣っているとかではなくて。なのにどうして「俺の好きなものが否定された。もしかして見下されてるのか…?」みたいな思考になるんですかね?私にはちょっと理解できない世界です。別に世界中の人間が自分と同じ感性を思って同じ趣味趣向があって、同じ価値観を共有していなければいけないなんてことないじゃないですか。好みなんてバラバラなんだから「これが好き!」「へえ。俺はこれが好き!」「ええね」「ええね」で済む話だと思うんですよね。

私は鬼滅の刃が嫌いですし進撃の巨人の最終回も物足りなかったと思っていますが、別に私が嫌いだってだけで鬼滅が好きな人がいてもなんとも思わないですし、進撃の巨人の最終回が素晴らしかった!みたいな感想を持っている人がいても、へえ、そうなんだね、くらいにしか思いません。

なんか、人が言ってることを上手く受け流せずにいちいち怒ったり傷ついたりするのって、本当に疲れるからやめた方がいいと思うんですよね。ということをなんとなく思ったのでこの記事を書きました。別に何かあった訳ではないですが。

  • 自分の好きなものが、必ずしも他の人も好きだとは限らない
  • 好き嫌いで優劣は評価できない
  • 自分の好きなものが相手に受け入れられなくても、別に自分がバカにされたり否定されている訳ではない

この辺のマインドセットはいくつになっても持っていたいですね。多分大事なことだから。